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三つの驕り

仏教には、「3つの驕り」、という教えがある。

一つ目は 「若さの驕り」 であり
第二には 「健康の驕り」
そして最後は 「生命の驕り」である

「老い」を感じるまで分からない 「若さの驕り」
病を得なければその有難さが分からない 「健康の驕り」
そして、生命の灯が揺らいでから初めて分かる 「生命の驕り」

手元から奪われるまで、有難さなど分からない。
それが地上を生きる人間の悲しさだ。
頭の中で知ってはいても、
心の底からの実感など、常人では無理だろう。

遠くに見える日光連山の稜線を眺めても、
再び縦走することができない悲しさよ。
体力も若さも、そして時間も取れはしない。

懐かしい人々は、櫛の歯が欠けるように他界へと旅立ち、
無常の風が五体を包むような虚無感にもかられる。

死して後、全てが無になるのならば、
それこそ、全くの救いもない。
地上の人生だけが、人間の全てならば、
空しさだけが人間を支配するだろう。

だが、釈迦は永遠の生命を説いた。

人間が生き通しの魂であることを説いた。

この世が仮の世であり、
あの世こそ、本来の世界だと説いたのだ。

縁ある人々との別れは、悲しさそのものだ。
だが、死して終わりでないならば、
別れは永遠のものではなく、一時のものでしかない。

問われるのは、この世での栄耀栄華の実績ではない。
地位や財産はおろか、大事な肉体ですら、あの世には持って帰れない。

如何なる環境においても、心優しく、人に尽くしたかどうか。
どのような逆境でも、心を透明にして愛に満ちていたかどうか。

己の心だけしか、持って帰ることはできないのだ。

これはある意味では、非常に厳しい試練とも試験とも考えられる。

財産や地位、あるいは名誉や欲望など、
眼に見える物に奉仕し、ドロドロの心を持って帰る人も多かろう。
残念ながら、試練に敗れた人々の姿である。

逆境でも順境でも心を鍛え、
透明にして愛に満ちた心で、人生を織りなした方もいるだろう。
そうした人生は、大勝利の人生である。

人は皆、人生という名の発表の場を与えられる。
人生という名の演劇の舞台が与えられるのだ。

数十年の人生の幕が下りて、俳優は舞台を降りる。
「よくがんばりましたね」
「素晴らしい人生でした」
「あなたが居てくれて、本当に良かった」

このように喝采を浴びる魂は、本当の勝利者であろう。

人は、永遠の旅人。

永遠の向上を続ける旅人。

全ての人生に、祝福あれ。

魂は永遠である。
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