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言論の自由

今日は、「言論の自由」について考えて見ます。

今回の「沖縄の新聞懲らしめ事件」ですが、
テレビ各社の報道の姿勢を見て、考えを新たにしました。
やはり現行の「言論の自由」には、あきらかに制度的欠陥があります。

基本的に先ず、新聞テレビなどの報道機関は、
沖縄の二紙の報道内容についてはノータッチのようです。
どんな内容の報道かは、全く問題とされず、
どのような内容であれ、言論の自由は保障されているということです。

ただし、この自由は、報道機関のみに行使できます。
悪口雑言だろうと罵詈だろうとも、
偏向しようが私利私欲に満ちようと、
「言論の自由」の名の下には、フリーハンドを与える。
こう言われても、「その通りです」という返事しかできないと思われます。
これが『欠陥』の第一点です。

 (第一点)報道機関の言論については、内容をに関しては完全に自由であり、責任は一切問われない。

更に二点目もはっきりしました。
 (第二点)言論の自由は、実質的には言論機関だけに行使が可能。

第一点でも少し触れましたが、
どのような滅茶苦茶な論陣を、言論・報道機関が張ろうとも、
その報道機関に反論する手段は、通常、一切存在しないということです。
もちろん、抗議は可能です。
裁判による損害賠償も可能でしょう。
しかし、流布された言説による影響力は、もう覆せません。

たとえば、従軍慰安婦の強制連行という虚構を、
朝日新聞は世界に垂れ流しましたが、
もうこの「常識」を覆すことは、かなり困難です。
捏造報道が朝日紙面に踊っていた際、
事実と真実を知っていても、
それを発表する場は、どこにもありませんでした。
「報道・言論の自由」の美名の下、
誤報に反論する手段は、報道機関以外には存在しないのです。
これは、かなりの欠陥です。

この二つの問題点は、双方とも報道機関側の問題点です。

(1)今回、沖縄の報道機関の報道の内容は吟味されませんでした。
「何で問題視されたのか」
その記事の偏向性は、他の報道機関から不問にされています。

そして
(2)他の報道機関からの指摘や解説は絶無であり、
当事者の沖縄の二紙も、自己反省や自己観照は絶無でした。

この欠陥を内在させたまま、
現状の「報道・言論の自由」を行使・維持するためには、
どうしても必要なことがあります。

それは、一つには、報道機関自身による「自己反省」です。
過失も過誤も人間社会にはありえます。
その際、反省できるのが「人間」です。
「自由には責任を伴う」ことは、当たり前で、国家や国民の将来まで、
言論は左右します。
他者の非難糾弾は自由自在にしながら、自己反省は不能では、まともな言論など不可能です。

さらにもう一つは、報道機関自身による「自己観照」です。
どのような価値観に基づいて報道しているか。
「報道しない自由」を標榜して、自己に都合の悪い情報を無視したり、
反対意見を封殺して、自己の価値観に国民を誘導するなど、
百害あって一利なしです。

自己の持つ権力の大きさ、影響力の大きさを自覚しつつ、
公正か、世論誘導をしていないか、厳しく自己を振り返るべきです。

上記の二点が、全く機能せず。
三権分立の上位概念として、報道機関が暴走しているのが、
現代の問題点である「言論の自由の大欠陥」であると思います。

特に問題になるのは、その報道機関が寄って立つ「価値観」です。
「自由には責任を伴う」
その価値観で国民が幸福になるのか。
世界は幸福と平和が増進するのか。

その反省と観照が不能ならば、
その報道機関に存在価値なし。
誇りと名誉があるならば、
他の報道機関は、沖縄二紙の分析をなし、
国民に報道し、必要ならば建言せよ。
報道の自由を免罪符として、
政治活動するような愚挙は、これを許してはならない。
報道機関の諸氏の、猛省を促したい。
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