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池田大佐は軍服を脱いだ

今日は、少し脱線します。

司馬史観とは何だったのか。

このところ、しばらく考え続けています。

司馬さんは、昭和の軍人をほとんど評価していないと思います。

その中で、唯一といっていい例外は、
戦車第11連隊の連隊長。池田末男大佐です。池田大佐


司馬さんは、満州の戦車学校で、直接、池田大佐の薫陶を受けました。
唾棄したくなる軍人の多い中で、
池田大佐だけは、どうしても尊敬せざるを得ない、そうした軍人だったそうです。

その池田大佐の戦車第11連隊は、
終戦時に北千島の占守島に駐屯していました。

不法にも終戦後に攻撃してきたソ連軍との戦闘に関しては、
有名ですから割愛いたしますが、
今回、そのことで、思い至ったことがあります。

それは、池田大佐の最後の突撃の際のことです。

帝国陸軍戦車隊の、最後の突撃は、
上陸してきたソ連軍の大軍の中への、
全滅を賭した突撃でした。

生きて還らぬ最期の突撃で、
池田大佐は軍服の上衣を脱いで、
軍帽を脱いだ鉢巻姿だったと伝えられています。

もろ肌脱いで、向こう鉢巻。
これは、「無法松の一生」のような、
市井の侠客もどきの姿です。

帝国陸軍の「戦車の神様」といわれた池田大佐と、
「無法松」とが、どうしても重なりませんでした。

戦車兵はほとんどが騎兵から転科しています。
池田大佐も、もとは騎兵。

部下諸共の、最期の突撃。
気持ちは、白刃を振りかざした騎兵突撃だったでしょう。

あのネー元帥が、ワーテルローで突撃したように。

その際は、完全な軍装に身を包むのは当然です。
軍服は名誉の象徴。
皺一つない完璧な姿であることこそ、
軍人の死出の装いのはず。

しかし、今回、思い至ったのです。
なぜ大佐が、名誉の象徴でもある軍服の上衣を脱いだかに。

終戦の詔勅が出て、日本は戦闘行動を中止しました。
天皇陛下が戦争を止めると、股肱に命じられたのです。

しかし、不法なソ連軍を、ここで食い止めねば、
日本は、ソ連によって破滅させられるかもしれない。

ここで戦わなければ、日本国民は一体どうなるか。

大命に背いて戦闘すれば、部下たちも、
不忠、逆賊の謗りを受けるかもしれない。

日本と日本国民のために、終戦後に戦い、
命を落としたとしても、褒められるどころか、
指弾されるかもしれない。

逆に、この戦闘によって、
陛下が責任を問われる可能性すらある。

それゆえ、名誉の象徴である軍服を捨てて、
名誉ある軍人としてではなく、
一人の臣民として、突撃することを決意したのではないか。

部下たちの逆賊の汚名を悲しみ、
大命に反する自己を罰し、
陛下に累が及ぶことを恐れ、
一臣民として突撃した。戦車11連隊


これが、池田大佐の苦衷の姿ではないか。
そう思えたのです。

池田戦車連隊の最期の電文
「連隊は只今より敵中に突入す。祖国の弥栄を祈る」
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