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帝都上空に消えた若者たち

70戦隊
いつも使用しているPCのデスクトップの画像は、
最近、この戦闘機の列線の写真を使っています。

中島飛行機が製作した、2式単座戦闘機「鍾馗」が、
千葉県の柏飛行場で待機している写真です。

奥のほうは、47戦隊からのお下がりの機体が並んでいますので、
同戦隊が4式戦闘機に機種改変した後の、昭和二十年に入ってからの写真でしょう。

米軍の大空襲を阻止するため、
47戦隊や70戦隊は、終戦まで死戦を繰り広げます。
たぶん、この写真に写っている戦闘機たちも、
終戦時には、ほとんど喪失していたはずです。

高高度を来襲するB29を邀撃するには、性能が不足していた「鍾馗」。
体当たりしてB29を撃墜するものまでいました。

そうした「空の特攻機」の墜落現場に、供養塔が建てられている場所があります。
都営亀戸7住宅にある、飛行第70戦隊の熊谷軍曹の供養塔です。

防空戦闘機は、撃墜されても捕虜になる心配はありませんが、
住宅に落ちるわけにはいきません。

それで、最後まで脱出せずに、自爆する場合があるのです。
この熊谷軍曹も、落ちる機体を操りながら降下してきて、
最後に市街地を避けるため失速、墜落しているようです。

デスクトップの写真を見ると、私は勇気が出てくると同時に、少し悲しくなります。
空を圧するB29の大編隊に挑んだであろう「鍾馗」。
「オレも同様に勇を奮わなきゃイカン!」と思います。

しかしまた、終戦までには、ほとんどが散華したであろう「鍾馗」。
この写真の「鍾馗」も、そしてその操縦者も、大空で散華したことでしょう。

悲しいのは、そのことを、まったく評価しない今の社会と国民です。

目を開けていられないほどスゴイB29の防御射撃。
それを冒して攻撃する、性能の足らない「鍾馗」。
体当たりも辞さず、空襲を阻止しようとする戦闘機操縦者。

それが今、「侵略戦争」の「戦争犯罪」を犯した、犯罪者扱いです。

熊谷軍曹のような戦闘機操縦者はたくさんいました。

慰霊碑も、名誉もなく、その事実すら知られずとも、
生命を投げ出して戦った若者たちが、
柏や松戸、成増、調布を飛び立って、再び帰りません。

せめて、かれらの事実だけでも、語り継ぐわけにはいきませんでしょうか。

東京が焼け野原にされ、都民が皆殺しにされていたとき、
それを護るために、大空で生命を投げ出して戦った、
一群の若者たちがいた、ということを。

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